ビデオ屋の閉店について

 

 

あれはもう20年前になろうかという

まだ僕が中学1年のころの話です。

初めてハリウッド映画を観たのです。

 

父と兄の三人で観た映画はマトリックスでした。

それまで好きだったのはゴジラやガメラといった特撮モノで

そこでいきなりハリウッドの洗礼を受けたのでとても衝撃的でした。

エンドロールが終わって館内が明るくなっても

しばし立てなかったことをよく覚えています。

それから僕はたくさんの映画を観るようになりましたが 、映画館は高い。

そんな「もっと映画を観たい!」という欲求を満たしてくれたのは

近所にあったレンタルビデオ屋でした。

 

水曜ロードショー、木曜洋画劇場、金曜ロードショーは毎週欠かさず観ており

それが何よりも楽しみでしたがそれだけでは足りず

レンタルビデオ屋に毎月おこづかいを注ぎ込んで通っていました。

母には一度観た作品をまた借りてきたことについて

「なんで二回も三回も同じのを観るのかわからない」と呆れられたり

お金を使いすぎると怒ったりもしていました。

それでも僕はどうしても映画が観たくてよく通っていました。

 

通ううちにどこになんのタイトルがあるのか把握できるようになり

一回行けば2時間も3時間も脚が痛くなるまで

パッケージ裏に書いてあるあらすじやキャスト、配給会社、製作会社の項目を読みふけり

会社によってつくられる映画に特徴があることにも気がつくようになりました。

 

さらにそこで働いていたスタッフのお姉さんとも仲良くなって

たまに一本余計に貸し出してくれたりしていました。

よく声が通り、よく笑う背丈のある天然パーマの憧れのお姉さんのことを

素敵だな、好きだなと思っていました。けれど顔見知りになってから

5年ほどで結婚してしまい、僕はいくらかがっかりしたのを憶えています。

VHSからDVDに切り替わり、DVDがBlu-rayに切り替わるのも

新しい時代がきてるんだとワクワクしながら見届けてきました

そんなビデオ屋が、少し前に閉店しました。

 

たくさんの夢を見させてくれたビデオソフトが並んでいて

目の前に立つとワクワクする高い棚はなくなり

長い時間立っていると脚が棒のようになる硬く白いリノリウムの床を照らしていた蛍光灯も消え

話題の映画のポスターが飾られていた内壁はただ真っ白な壁になっていました。

その、緑色をした非常灯のみが灯る空虚なビデオ屋を見つめながら、時間の進みを感じました。

 

映画館はレンタルビデオ屋の普及によって衰退し

レンタルビデオ屋はオンデマンド配信サイトによって数を減らしています。

スマホでも簡単に観られるようになり

以前よりもたくさんの映画を観ることができるようになったのですがなんだか僕は寂しいです。

 

今でも映画館で映画を観ますし

レンタルビデオ屋でビデオを借りますが

通い慣れた近所の映画館とビデオ屋も閉店してしまうことでなんだか

僕が映画を好きになり、映画と共に過ごしてきた思い出すら

閉じ消えてしまう気がしています。

 

店舗は取り壊されずそのままです。

いつかここにもテナントが入るに違いありません。

新しいテナントが入ればまたワクワクするでしょうけれど

そこにどんなテナントが入ろうと

僕にとってそこは、ビデオ屋であることに変わりないです。

 

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母と息子

長くなるけれど書き留めておきたい。

自分で読み返すことがあるかどうか

わからないけれど

残しておかないと気が済まない。

 

先日母に誘われて、二人で食事に出かけた。

といっても素敵なお店なんかではなくて

近所にあるチェーンの和食レストランだった。

けれど、僕はそれで充分だった。

母が他の家族ではなくなぜ僕を誘ったのか

なんとなくわかっていた。

 

母と二人で出かけるのは15年ぶり。

僕が高校受験した年の春だった。

合格祝いにこれまた自宅近くにある

焼肉屋さんへ出かけた。

僕は合格したことがとにかく嬉しかった。

お腹が空いているはずなのに嬉しすぎて

大好きな焼肉が喉を通らなかった。

 

母はその時のことを覚えており

「胸がいっぱいで食べられないと言っていたね」と

レストランへ向かう車中で思い出して話してくれた。

覚えてくれていたことが嬉しかった。

僕もそのときのことはよく覚えており

「うれしくて胸がいっぱいで喉を通らない」

と話していた。

母と二人で出かけることがとても新鮮だった。

 

母と二人で入った和食レストランは夕食のピーク時間のはずなのにガランとしていた。

この店はだいたいいつも空いている。

客層は高齢で、それがまた静けさを保っていた。

出されたお茶を

「あんまり熱くないね」

「やっぱりお客さん来ないのかしら、いれたままなんじゃない?」

と言うので

多分今まで熱すぎて飲めないって苦情があったんだと思うよ

言えば変えてくれるはずだよ、というのは胸の中へと飲み込み

そうだね、ちょっとぬるいねと話してメニューを広げた。

 

季節はちょうどイワシの時期だった。

母はこのお店で食べたつみれ汁が美味しくて

それから家でも作るようになったと話す。

母の料理はどれも美味しくて

子供のころはそれこそお菓子まで焼いて作っており

イワシをたたきにして作ってくれていたつみれ汁もとてもおいしかった。

まさかその起源がレストランだとは思わず、母の学ぶ姿勢に感心していた。

 

メニューを選ぶ時間も楽しい。

たくさんあるね、目が迷うねと話しながら

僕は多少の気恥ずかしさと元からの性格もあって

あからさまに喜んだりしないけれど

とても穏やかで楽しいなと感じていた。

母はデザートまで考えて、僕も甘いものが欲しいなと考えて

自分の甘いもの好きはこの人の血筋かもな、と想像していた。

 

「ばあちゃんはこういうお店に来ると、いつも抹茶アイスを頼むのよね」

「抹茶パフェとか抹茶わらびソフトとかじゃなくて、抹茶アイスなのよ」

母は、自分の母をばあちゃんと呼ぶ。

いつからそうなったのかわからないけれど

僕は母のその呼び方を気に入っている。

離れていてもいくつになっても

お母さんはお母さんであり、ばあちゃんはばあちゃんなのだ。

何かを見て誰かを思い出す、その瞬間がとても好きだ。

特にそれが良い思い出ならなおさら。

 

メニューを選びながら、ごはんを食べながら母と話をする。

母のこと、家族のこと、自分のこと。

思い出話や悩み事など短い時間でたくさん話した。

相談ではなく、報告に近い。

話し足りないほどだったけれど

僕は疲れていたので帰る気配を出した。

 

持って行ったフィルムカメラで母を数枚撮った。

母を撮りながら、僕は急に焦りを感じた。

祖父母を撮っているときに感じたのと同じ焦りだった。

 

いつか母も死ぬ。

レストランの蛍光灯に照らされる

母の顔に刻まれるシワや、増える白髪、コシをなくした髪。

それらを目にしてより一層焦った。母もいつか死ぬのだ。

僕の身になにか起きない限り母は確実に僕よりも早く死ぬし

僕は母のお棺の前に立つ日が来るのだ。

生と死は二つで一つ。

普段忘れているその厳然たる約束事の前に、僕の焦りは無力だった。

 

仕事用にブログをひとつ持っている。

それは毎月1件というゆるい更新ペースだが、母はいつも読んでくれているらしい。

文章がうまいし写真もうまいけれど、何を言いたいのか深読みをしてしまうので

何回も何回も読み直していると話していた。

どんな気持ちでこれを書いているのか考えながら読むのよ、と言っていた。

 

僕は、それまで抱いていたブログを読まれることの恥ずかしさよりも

母のその僕を理解したいという気持ちに胸を打たれた。

思い出すたびにうるっときてしまうほどだ。

家族といえど全く違う人格を持っているので

理解しきれない部分が非常に多い。

ことさらに僕は繊細過ぎて気難しいので

思ったことをスパッと口に出せる母とは対照的だ。

 

そんな母が自分を理解しようと老眼で見づらいだろうにたくさんの文章を目で追ってくれていると思うと、母の愛を感じた。

 

母に限らず、命あるものは必ず死ぬ。

生と死は二つで一つであり、分け隔てることはできない。

その約束を忘れてしまうと、生も死も輝きを失う。

 

年老いてきた母の姿をまじまじと見つめたことで死を意識し、それでより一層、今ある生が輝いている。

その生とはつまり愛であり、自分で思っている以上に自分は愛されているという事実だった。

 

ホッパー

 

 

エドワード・ホッパーの画集をパラパラとめくっていた。

何度か最初から終わりまで読んだので、今度は適当に開いたページから。

 

その時々で「いいなぁ」と思う作品が違うからおもしろい。

こないだは何とも思わなかったものが今日は心に留まるから。

解説文もまたおもしろい。絵との距離がさらに縮まる。

いや、離れたり、縮んだりする。

なるほど、と思えたとたんになんで?が浮かんでくる。

知れば知るほどその奥行きの深さを目の当たりにし、何も知らないことに気が付く。

解説文に書いてあった詩の引用にグッときた。転載させていただく。

英語が使用言語だったらいいのにな。

 

sensation

(仏)ソンセシオン 気持ち

(英)センセーション 感覚

 

夏の爽やかな夕

ほそ草をふみしだき

ちくちくと穂麦の先で手をつつかれ

小径をゆこう

夢みがちに踏む足の

一あしごとの新鮮さ

帽子はなし

ふく風に髪をなぶらせて

 

話もしない ものも考えない

だが 僕のこのこころの底から

汲めどもつきないものが湧きあがる

さあ ゆこう どこまでも

ボヘミアンのように

自然とつれ立って

――恋人づれのように胸をはずませ…

 

「ランボオ」

 

これを読んで断片的に思い浮かぶ景色があった。

実際に目にしたことがあるのか、映画や写真や絵だったのか定かではないけれど。

一文、一文がその景色への鍵となり、記憶の中からどんどんその要素を汲み上げてきて、風が吹く。

僕が撮った写真にはそんな景色がない。

だから少しでも近いものをかきあつめて、空想を形作っていった。

まだまだ足りない。

 

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忘却

 

 

 

忘れられることが怖いから、自分の生きた証を遺したい。
 自分の中に自分がおらず、人の中に自分の姿を見るから、忘れられることが怖い。

自分が忘れられると存在がなくなってしまうから。
 だから忘れられないように、忘れても思い出してくれるように、色んなものを人に譲る。
 自分がこの世にいなくなっても、その物は残り続ける。

渡すのは忘れられても、ふとしたきっかけで思い出すようなもの。
 捨てようとすればすぐ捨てられるもの。
 それらは旅行へ行ったときの航空券や、現地のスーパーやコンビニのレシート。

そしてなんらかの入場券。施設のパンフレットなどそういった類に似た品々。

使わないし、役に立つわけでもないし、溜まる一方だから捨てようとするけれど

なんだか思い入れがあって、捨てられずに残しておいてしまうもの。
 とても大きな価値を持つのではなく

その人だけが価値を知っているもの。

 

自分のつくる何かがそんな存在になって欲しい。

そういったものをつくりたい。

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広さ

ミナ・ペルホネンの、レターを読んでいる。

 

不定期に届くこのダイレクトメールには

皆川さんの詩が書かれている。

このメッセージの存在は

昔付き合っていたひとから教えてもらった。

 

その人は

「いつ届くかわからないけれど

その時々で気づきを与えてくれる」

と話していた。

 

聡明で気難しいその人が

何を考えているのか僕は知りたかった。

少しでも近づきたくて

だから僕は

メッセージが届くように登録した。

 

読んだところで

その人がわかるわけではないけれど

書棚に置いてある本を見れば

その人の興味関心がわかるように

伝えられる言葉の

ひとつひとつを拾っては考えて

より深く知ろうとしていた。

 

たくさん話せば話すほど

わからなくなってしまうので

言葉というのはなんて心もとないのだろう。

 

後にお付き合いした女性からは

僕に強い影響を与えたその人の存在を

僕が思い出として話す御法度を犯すものだから

悲しい思いをさせてしまった。

 

僕は自分のことを話していたつもりでも

それは自分のことではなくなってしまうのだ。

だから僕はもう口をつぐみ

こうして文にしている。

 

6日にそのミナから、メッセージが届いた。

引用させていただく。

 

“失敗が怖い人は

前には進まない

 

ブレーキとアクセルを

同時に踏んでしまうから

 

成功ばかり望む人は

辿り着かない

 

成功は目的地ではないから”

 

どう生きるか

今もってそのことに悩む僕は

まだ答えを探している。

僕は失敗を恐れ

足踏みをしてしまうから

なかなか前へ進まない。

次のステップへ進むのに、とても時間がかかる。

 

考えれば考えるほど終わりがなく

たくさん頭の中に言葉や思いが氾濫する

それから心を閉じて

すべてを塞ぐ

そうして考えるのをやめ

やっと動き始めたときに

視界が開けることを知っている。

しかしこれにはとても時間がかかる。

他に良い切り替え方ができれば良いのだけれど

あいにく僕は、このやり方に慣れ親しんできた。

まったくなんて気難しいんだろう。

 

ふがいない自分が死ぬほど大嫌いだから

誰が味方にならなくても

自分ぐらいは自分のことを好きでいたい。

 

そうして

どのようなことでも受け容れられる

自然のような広さをもっていたい。

 

 

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先生のしおり

ダーク・タワー1作目のガンスリンガーを読み終えてから

またスティーブン・キングの本が読みたくなりました。

私は中学生のころに読んだ

「恐怖の四季・スタンド・バイ・ミー」をきっかけにして

スティーブン・キングの小説が大好きになりまして。

部屋の本棚には何冊か氏の書籍があり

その中から取り出したのが「図書館警察」です。

 

なぜかひと際黄色く変色しているその本をパラパラとめくっていたら

懐かしいものが出てきました。

金メッキが光る、しおりです。

私は、それがなんであるかをすぐに思い出しました。

浮かんできたのは、中学生の頃に好きだった美術の先生でした。

当時で40代前半だったかな。華奢で、背丈も低くて150cmくらい。

胸の下あたりまでサラサラの長いやや明るい栗色の髪をした

物腰の柔らかい、素敵な先生でした。

私は美術室の掃除を同じ班の友達と担当していて

なぜか掃除しているときにも、先生はときどき美術室にいました。

掃除しながらあれこれよく喋って、仲良くなった記憶があります。

 

今手元にあるしおりは、僕が本好きであることを知って誕生日に贈ってくれたものでした。

しおりは背表紙のてっぺんに引っ掛けられるようになっていて

その先端からは♪マークのチャームがついていましたが

本をあちこち持ち運んでる間に

いつしかチャームはなくなってしまいました。

すっかりしおりのことなんて忘れていましたが

一気に当時のことを思い出しました。

先生は僕の描く絵をいつも褒めてくれたり

プライベートで行った旅行のおみやげ(たしか秋田県)に

ラベンダーの香りがする、小さな手のひらサイズのテディベアをくれたりしました。

クラスの女の子よりも誰よりも、先生のことが好きだった気がします。

すでに結婚されていることを知り、がっかりした記憶もあります。

ませた男子中学生でした。

 

名前すらもう忘れてしまいましたが、元気かな、先生。

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誘われる

 

 

 

 

 

 

 

太陽が沈もうとするとき、海の色はどんどんと濃さを増していく

そのさざめく水面を見つめていると、吸い込まれそうなほどに濃い

 

古来から人魚(セイレーン)は海の怪物として

恐れられていたらしい

その美しい歌声を聴いた者は

誘われるように恍惚を覚えたまま

海に引きずりこまれ

死に

そして岩礁のひとつとなるとか

 

不規則なリズムで

やさしげな音を立てる波音はとても心地よい

そしてその水面はどんどんと暗さを増してゆき

水面だけ見つめていると

上も下もわからなくなりそうだった

 

もしここが砂浜でなくて海上の

それこそ凪いでいて、もう夜がすぐそこに近づいている頃に

疲れた頭と身体と心でこの水面を船のへりに身を乗り出して

ぼうっと見つめていたら

声を掛けられ、誘われるように落ちてしまうかもしれない

 

あっ、と声を出す間も無く冷たい海に落ちて

上も下もわからない、真っ暗な海の中を必死に浮き上がろうと水をかき

上へ上へと上がるはずが、下へ下へと進んでしまうかもしれない

慌てる頭は水面を目指さず

何も見えない真っ暗で冷たい場所で

ゴボリと肺から最後の空気を押し出して

求める空気の代わりに、水で肺を満たすのかもしれない

 

僕はそういった想像をしながら、前述のセイレーンのことを思いだした

セイレーンは実在するのかもしれない

心地よい波の音が美しい歌声となり

隙の生まれた心に誘いかけてくるのかもしれない

そして母なる海は

そのときに、疲れ果てた人という我が子を

望むと望まざるとに関わらず

迎え入れるのだろうか

 

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かさ地蔵の絵本

電車の中で沢野ひとしさんの本を読んでいる。

誕生日に山の先輩から贈っていただいた本が沢野ひとしさんの本で

それを気に入ってから神保町の古本屋で氏の本を探し

「てっぺんで月を見る」を買った。

1時間ほどの乗車時間の中でワクワクしながら読み進めて

続きが気になるのに、駅に着いてしまうと中断しなければならない。

やっと着いた、さぁ家まであと少しだ、と安堵するところを

沢野さんの本のおかげで

あぁ着いちゃったと、幸せなことにすこし残念な気持ちになる。

 

この気持ちは寝る前に本を読んでもらうときに

「はい、もうここまで、寝なさい」と親が子に言い

子は「もっと読んで、お願い、あとこれだけでいいから」

と頼み込むようなものかもしれないなぁと、電車を降りながら考えていた。

 

と、ここまで書いて、果たしてそんな体験が自分にあったか考えたら

これといって出てこない。

多分一度くらいはあるはずだ。

色んな話を読んでもらったはずだけど

特に覚えていて僕が好きなのは、日本昔ばなしのかさ地蔵だった。

 

あの本は何度も何度も繰り返し読んでもらっていた。

だからいつか僕も子供に読み聴かそうと

実はすでに数年前に、笠地蔵の絵本を買ってある。

どうなるかわからない未来のことについてどうか叶いますようにと

神頼みするような行いだなぁと今にして振り返っている。

いつかこの本の出番が来るように行動も伴っていきたい。

 

叶うかどうかなんて結局、気の持ちようだ。

 

 

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形にする

夜中に仕事から帰ってきて

2週間の間に撮ったものを印刷してみました。

 

 

私が使っているのはEPSONのA3まで印刷できるプリンターなのですが

A3まで刷ると当然インクを食うので

たくさん出す試し刷りはA5で

さらに絞っていくときは

より大きいA4で刷っていき

これは自分が撮ったもののなかで自信あるから大きく見たい

というものだけ、A3で刷ります。

 

写真展に行っていつも思うのは

やはり写真はモニタではなく、目の前に印刷物して見たいということ。

形にするだけでだいぶ違います。

それも、KGサイズやL判ではなくA4や六つ切以上のサイズで。

 

いいのが撮れた!と思って大きく刷っても、訴えかけるものが感じられないこともあり

えらく落胆してしまいますが

それだけに

大きく刷ったものを手に取り、それがエネルギーを帯びているとき

とても嬉しくなります。

 

フィルムはとんとご無沙汰ですが

ゼラチンシルバーセッションの美しさが忘れられません。

撮りためている今のフィルムが終わったら、やってみたいです。

 

 

 

 

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好きなこと

写真も、山も、料理も、本も、映画も好き。

仕事している時間以外はそれらをしているか、寝ているか、考え事をしているか、人と会っているか

というように過ごしています。

 

こうやって書いてみて、なんて単純なんだろうと思いました。

 

こんなにたくさんの好きなことをしているのにふとした瞬間でどこか満たされないのは

何か自分の中で欠けているものを間違った方法で埋めようとしているからなのか

すべて満ち足りているのにわざわざ足りないものを探してきて

足りない足りないと騒いでいるのか、などと色々考えます。

 

以前友人から聞いた20代はなんでも吸収するとき

30代は絶対にブレない目標をつくるとき

という言葉を思い出しました。

 

もしかしたら私は大好きな写真を通して

人々と繋がりを持っていたいのかもしれません。

 

こないだの大雪で、辺りは白く変わりました。

けれど1日も経てば雪は消えて

見慣れたいつもの街に戻ります。

 

 

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