先生のしおり

ダーク・タワー1作目のガンスリンガーを読み終えてから

またスティーブン・キングの本が読みたくなりました。

私は中学生のころに読んだ

「恐怖の四季・スタンド・バイ・ミー」をきっかけにして

スティーブン・キングの小説が大好きになりまして。

部屋の本棚には何冊か氏の書籍があり

その中から取り出したのが「図書館警察」です。

 

なぜかひと際黄色く変色しているその本をパラパラとめくっていたら

懐かしいものが出てきました。

金メッキが光る、しおりです。

私は、それがなんであるかをすぐに思い出しました。

浮かんできたのは、中学生の頃に好きだった美術の先生でした。

当時で40代前半だったかな。華奢で、背丈も低くて150cmくらい。

胸の下あたりまでサラサラの長いやや明るい栗色の髪をした

物腰の柔らかい、素敵な先生でした。

私は美術室の掃除を同じ班の友達と担当していて

なぜか掃除しているときにも、先生はときどき美術室にいました。

掃除しながらあれこれよく喋って、仲良くなった記憶があります。

 

今手元にあるしおりは、僕が本好きであることを知って誕生日に贈ってくれたものでした。

しおりは背表紙のてっぺんに引っ掛けられるようになっていて

その先端からは♪マークのチャームがついていましたが

本をあちこち持ち運んでる間に

いつしかチャームはなくなってしまいました。

すっかりしおりのことなんて忘れていましたが

一気に当時のことを思い出しました。

先生は僕の描く絵をいつも褒めてくれたり

プライベートで行った旅行のおみやげ(たしか秋田県)に

ラベンダーの香りがする、小さな手のひらサイズのテディベアをくれたりしました。

クラスの女の子よりも誰よりも、先生のことが好きだった気がします。

すでに結婚されていることを知り、がっかりした記憶もあります。

ませた男子中学生でした。

 

名前すらもう忘れてしまいましたが、元気かな、先生。

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誘われる

 

 

 

 

 

 

 

太陽が沈もうとするとき、海の色はどんどんと濃さを増していく

そのさざめく水面を見つめていると、吸い込まれそうなほどに濃い

 

古来から人魚(セイレーン)は海の怪物として

恐れられていたらしい

その美しい歌声を聴いた者は

誘われるように恍惚を覚えたまま

海に引きずりこまれ

死に

そして岩礁のひとつとなるとか

 

不規則なリズムで

やさしげな音を立てる波音はとても心地よい

そしてその水面はどんどんと暗さを増してゆき

水面だけ見つめていると

上も下もわからなくなりそうだった

 

もしここが砂浜でなくて海上の

それこそ凪いでいて、もう夜がすぐそこに近づいている頃に

疲れた頭と身体と心でこの水面を船のへりに身を乗り出して

ぼうっと見つめていたら

声を掛けられ、誘われるように落ちてしまうかもしれない

 

あっ、と声を出す間も無く冷たい海に落ちて

上も下もわからない、真っ暗な海の中を必死に浮き上がろうと水をかき

上へ上へと上がるはずが、下へ下へと進んでしまうかもしれない

慌てる頭は水面を目指さず

何も見えない真っ暗で冷たい場所で

ゴボリと肺から最後の空気を押し出して

求める空気の代わりに、水で肺を満たすのかもしれない

 

僕はそういった想像をしながら、前述のセイレーンのことを思いだした

セイレーンは実在するのかもしれない

心地よい波の音が美しい歌声となり

隙の生まれた心に誘いかけてくるのかもしれない

そして母なる海は

そのときに、疲れ果てた人という我が子を

望むと望まざるとに関わらず

迎え入れるのだろうか

 

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かさ地蔵の絵本

電車の中で沢野ひとしさんの本を読んでいる。

誕生日に山の先輩から贈っていただいた本が沢野ひとしさんの本で

それを気に入ってから神保町の古本屋で氏の本を探し

「てっぺんで月を見る」を買った。

1時間ほどの乗車時間の中でワクワクしながら読み進めて

続きが気になるのに、駅に着いてしまうと中断しなければならない。

やっと着いた、さぁ家まであと少しだ、と安堵するところを

沢野さんの本のおかげで

あぁ着いちゃったと、幸せなことにすこし残念な気持ちになる。

 

この気持ちは寝る前に本を読んでもらうときに

「はい、もうここまで、寝なさい」と親が子に言い

子は「もっと読んで、お願い、あとこれだけでいいから」

と頼み込むようなものかもしれないなぁと、電車を降りながら考えていた。

 

と、ここまで書いて、果たしてそんな体験が自分にあったか考えたら

これといって出てこない。

多分一度くらいはあるはずだ。

色んな話を読んでもらったはずだけど

特に覚えていて僕が好きなのは、日本昔ばなしのかさ地蔵だった。

 

あの本は何度も何度も繰り返し読んでもらっていた。

だからいつか僕も子供に読み聴かそうと

実はすでに数年前に、笠地蔵の絵本を買ってある。

どうなるかわからない未来のことについてどうか叶いますようにと

神頼みするような行いだなぁと今にして振り返っている。

いつかこの本の出番が来るように行動も伴っていきたい。

 

叶うかどうかなんて結局、気の持ちようだ。

 

 

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形にする

夜中に仕事から帰ってきて

2週間の間に撮ったものを印刷してみました。

 

 

私が使っているのはEPSONのA3まで印刷できるプリンターなのですが

A3まで刷ると当然インクを食うので

たくさん出す試し刷りはA5で

さらに絞っていくときは

より大きいA4で刷っていき

これは自分が撮ったもののなかで自信あるから大きく見たい

というものだけ、A3で刷ります。

 

写真展に行っていつも思うのは

やはり写真はモニタではなく、目の前に印刷物して見たいということ。

形にするだけでだいぶ違います。

それも、KGサイズやL判ではなくA4や六つ切以上のサイズで。

 

いいのが撮れた!と思って大きく刷っても、訴えかけるものが感じられないこともあり

えらく落胆してしまいますが

それだけに

大きく刷ったものを手に取り、それがエネルギーを帯びているとき

とても嬉しくなります。

 

フィルムはとんとご無沙汰ですが

ゼラチンシルバーセッションの美しさが忘れられません。

撮りためている今のフィルムが終わったら、やってみたいです。

 

 

 

 

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好きなこと

写真も、山も、料理も、本も、映画も好き。

仕事している時間以外はそれらをしているか、寝ているか、考え事をしているか、人と会っているか

というように過ごしています。

 

こうやって書いてみて、なんて単純なんだろうと思いました。

 

こんなにたくさんの好きなことをしているのにふとした瞬間でどこか満たされないのは

何か自分の中で欠けているものを間違った方法で埋めようとしているからなのか

すべて満ち足りているのにわざわざ足りないものを探してきて

足りない足りないと騒いでいるのか、などと色々考えます。

 

以前友人から聞いた20代はなんでも吸収するとき

30代は絶対にブレない目標をつくるとき

という言葉を思い出しました。

 

もしかしたら私は大好きな写真を通して

人々と繋がりを持っていたいのかもしれません。

 

こないだの大雪で、辺りは白く変わりました。

けれど1日も経てば雪は消えて

見慣れたいつもの街に戻ります。

 

 

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自然と自分の時間軸

 

 

 

花立山荘の少し下から山頂の少し下までおしゃべりしながら一緒に登った女性は

背丈150cmほどの小柄な身体の背中に16kgのザックを背負っています。

ずいぶんパワフルな人だなぁと思っていたら、塔ノ岳登頂2000回を越える猛者でした。

 

彼女の丹沢の思い出話を聴きながら、雲海がとても見事な景色だったので

消えてしまう前に2人して何度も何度も振り返りながら綺麗ねぇ…と口癖のように

その美しさと迫力に圧倒されて

感嘆のため息を漏らすように話していました。

 

足早に登っていく登山者たちを見送りながら彼女は

こんなに雲海が綺麗なんだからもっとゆっくりしていけばいいのにね

と笑いながら話します。

僕はなぜだかその言葉がとても胸に残り、ほんとにそうですね、と答えました。

登頂してからも、下山しながらも、バスで渋沢駅へ向かいながらも彼女の言葉を反芻して

何がそんなに響いたんだろうと考えていました。

 

目まぐるしく進む日々の時間の中で

多分、本当に美しいもの、尊いものというのは別な時間軸にある気がしています。

2018年とか、1月18日とか、そういったカレンダーや時計や日時とは

無関係の場所にあるのかもしれないと思えてくるのです。

 

けれど未だに僕が生きているのは

いえ、もっと正確に言うのであれば

社会生活を営む以上自分の居場所があるのは、このカレンダーや時計が刻々と刻む時間軸です。

覆水盆に返らず、ということわざがあるように、時間は容赦なく進み

過ぎた日はもう二度と戻らないのだからとにかく進みなさい

遅れることは許されない、と、急き立てられているような感触があるのです。

そしてその過程で、何かとても美しいものや大切なものを見落としたり、不本意に手放してはいないか不安になります。

ゆっくり過ごしたいのではなく、自分の生きる時間軸と当てはめられる時間軸に大きな差がある気がしてならず

それがとても辛いのです。

 

自然に憧れるのは、そういった概念が全くない世界だからかもしれません。

時間の流れはあっても、その中に身を置けば「自分は今ここにある感覚」がはっきりとわかります。

 

霜が溶けてグズグズになった地面や、ひんやりとしつつもガスによって湿度を帯びた大気を通して

自分が自然の中に溶け込んでいくのを感じます。

ドクドクと脈打つ拍動に循環器の、はぁはぁの息を切らせるところに呼吸器の働きを感じ

手足はじんわりと温かく、谷を上ってくるシカのフンの臭いを感じ

鞍部を境にガスが舞い上がってくる場所と押し戻される場所を目にします。

 

美しさや、大切なことというのは

自然の時間軸と自分の時間軸とが交われるときに、やっとわかることなのかもしれません。

 

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自分との闘い

 

 

 

 

「今何考えてる?」
同行している仲間から、突然尋ねられました。


後沢乗越から鍋割山山頂まで山と高原地図上では1時間20分。

私は前夜の寝不足が祟ったのか身体がどうにも重く、とにかく辛くて辛くて堪りませんでした。

頭の中は体調を万全に整えていなかった後悔と

仲間に気を払い楽しむ余裕がない自分の小ささ

標高差たった1200mの登りですら息切れしている、弱い自分への怒りで一杯です。
私は答えました。


「ザックが重い、脚が重い、景色を見る余裕がない、むしろ見たくない、これまで自分が犯した過ちと、あんなこと言わなきゃよかったということを思い出してる」


辛いときには、心はどんどん内へと閉じてゆきます。

身体は硬くなり、頭は頑なになり、視野は狭くなります。

視線は内へ内へと向かい、周りには目もくれません。

そして見たくない、気がつきたくない自分の姿と実力を目の当たりにするのです。


私は時間を置いて、また言いました。

「今は前しか見れない」

後ろを向くのは山頂に着いてから。

それまで美しい景色には背を向けひたすら前と足元を見続け時折水を口にして、乾燥する喉を潤します。


仲間は気を遣って50mほど離れて下を歩いてくれています。

気を遣わせてしまう自分の弱さがまた腹立たしくなります。

私はまた、後悔と反省をします。


「山になんて来なきゃよかった、来るなら一人がいい、一人なら誰にも迷惑かけないし、嫌な思いもさせないし、闘う相手も憎い相手も自分しかいないのだから、それに勝てた成果も自分のものにできる。誰かのおかげなんて恩を着せたくない、助けなんて要らない」

欲しいのはたった一人でも苦難に負けず闘い続け、打ち勝てる自らの強さです。


山頂で楽しい時間を過ごしても、知ってしまった自分の弱さから目を背けることはできません。

私は下山を始めながら次に山へ来るときは一人で来ようと考えていました。

ところが、私は美しい出会いによってその考えを改めるのでした。


下山中、二人一組のグループに出会いました。

お二人は地元神奈川にお住まいの女性たちで

山に50年近く登っている方Aさんとそのご友人Bさんでした。

道を譲ってくださったとき、なんとはなしに「よく来られるんですか?」と声を掛けました。


気がつけば下山しながらたくさんお話ししていました。

Aさんがこれまで登った山の話、死にかけた話、Bさんとの度重なる偶然の出会い。

おしゃべりしながら、写真を撮りながら下山していたらあんなに辛かった登りの道だったのに、気がつけば、あっと言う間に大倉まで下りてきました。


私の胸の中に淀んでいた重いものはいつの間にか消えています。

山に来てよかった気持ちでいっぱいです。

身体は疲れているのに心がとても軽くなっていました。

一人きりなら知り得なかった感覚です。


街で過ごし、日々の生活に追われているとどんどん心も頭も硬くなってしまいます。

それは他者がそうさせるのではなく、自分が望んでそうしているのでしょう。

影響を受けやすく揺れ動いてしまう我が身を守るために、必死に硬くなっていくのかもしれません。

けれど、そのどうにも崩せない硬さが何よりも辛いのです。


山を下りてきてから街で過ごすうちに、また心と頭が硬くなっています。

どうしても捨てられない自分のプライドや素直になれない気持ち。恐れる気持ち。

それら全てが体にまとわりつき離れません。

なのでまた山に行きたくなります。

自分が生来持ち合わせている弱さと強さを全て試すことができて、人の中にいる煩わしさと喜びを得られる唯一の場です。


鍋割山はとてもキツい山行になりました。

しかしとても思い出深い山行でした。

あの辛さを恋しいと思っているのがとても不思議でありつつ、

嬉しいです。

 

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晴れ、強風

千葉県の外房にある九十九里浜近くに住む友人を訪ねたのは四年ほど前。

ちょうど今ぐらいの時期です。

友人の家は浜まで徒歩5分ほどの場所にあり

九十九里浜が好きな私は

友人の引っ越しをこれ幸いとばかりに訪ねるようになったのです。

 

前日から強い風が吹いていました。

この日もその強さは止むことなく、沖から冷たい強風が吹き寄せてきます。

その風は浜に近づくほどに大きくなる波の音と比例して強さを増し

ゴウゴウという轟音になって聞こえてきます。

歩いていると時折身体が持って行かれそうになるほどです。

 

厚く立ち込める雲によって日の出は拝めず

さらに天気予報によると昼前から雨も降り始めるようでした。

陽が出ないため底冷えするような寒さですが

散歩しているととても気持ちが良いです。

後ろを振り返ると歩いた足跡はさらさらと音もなく

あっという間に風で吹き消されていきます。

 

ふと横を見ると、流れ着いた大きな切株がゴロリと横たわっているのを見つけました。

どこから流れてきたのか、その波に洗われ白く骨のようになった切株は

何もない砂浜で言いようの無い存在感を放っていました。

私はただ横たわるその切株に惹かれて担いでいた三脚を下ろし

レンズを向けることにしました。

 

スローシャッターにして撮影したその写真に写る切株は

まるで墓標のようでした。

波は打ち寄せまた引いてゆき

その波に洗われてどんどん砂浜も変化していく中で

切株だけは取り残されたかのように横たわり

陸にも海にも背を向けているようでした。

 

うんざりする日々から逃げるように足を向けた場所でも目にするのは

やはり自分自身でした。

 

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全部名前がある

先日雪山へ行ったときに、山登りをするようになって初めて

日の出ている時間帯に中央道を走ることができました。

 

日の出前に起きて電車に乗り

都庁下から出る高速バスに乗って長野へと向かいます。

バスターミナルは大きなスノーボードを背負った人々が大勢おり

これから向かう場所への期待感で満ち満ちています。

 

中央道を走り新宿から三鷹市あたりに入る頃

窓からは遠くに丹沢と高尾の山々が見えてきます。

新宿を背にして走ると太陽は後ろにあるのでさほど眩しくはありません。

冬枯れした山に朝陽が当たって沢や尾根の間に美しい陰影を見せるので

快晴の空も相まって良い一日の始まりを予感させます。

一番西にあるなだらかな頭をした山は

鍋焼きうどんが有名な鍋割山でしょうか、それとも塔ノ岳でしょうか。

その丹沢の奥には富士山が頭を出しています。

 

バスが八王子ジャンクションを越えるといよいよ関東山地です。

高尾山や陣馬山、小仏トンネルを抜けて相模湖を過ぎる頃には

昨年よく通った秀麗冨獄十二景が見えてきます。

どんどんバスは進み笹子トンネルを抜けると右手には甲州高尾山、そして・・・甲府盆地。

進行方向右手には美しい八ヶ岳がだんだん見えてきて

左手には尾根が真っ白になった南アルプスや甲斐駒ヶ岳が見えてきます。

 

もうこの頃になるとじっとなんてしていられません。

地図を取り出して位置関係を見ながら

「あれは扇山、あれは倉岳山、あぁ岩殿山も見えてきた...」とソワソワしっぱなしです。

山が見えて何がそんなに楽しいのか自分自身よくわからないのですが

もしかしたらよく歩いた場所を違う視点で見られるせいかもしれません。

山は、知れば知るほどもっと知りたくなるようです。

 

それに…何も知らなければただの景色だった中央道沿いの景色が今は全く違います。

あそこにもここにも全部地名があり

大昔から人が歩いたり動物が寝て起きていて

あの山々には登らないとわからない美しい景色がたくさんあることを知ってしまったのです。

 

それを知っているのは、その山に入ったことがある人だけ。

なんて贅沢なのでしょう。

この喜びは恐らく、その豊かさを知っている優越感みたいなものを感じていたのかもしれません。

 

そして同じように、そんな経験をたくさん積んでいる方がとても羨ましく思えるのです。

 

 

 

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晴れ

動物園が好きです。

子供の頃は家族と出かける場所で、色気ついてくるとデートの場所、そして今は1人で出掛けたい散歩の場所が、動物園です。公営の動物園は入園料も安く、1日いても怒られることはありません。さらに「もっとこの動物のことを知って欲しい」という熱意を感じる展示の数々はとても見応えがあり、飼育員の方々の生き物に対する愛情の深さにも感動します。

 

よく動物園といえば、こんな狭い場所に押し込めてかわいそう、という声を聴きますが、彼らを哀れむ前に私は考えることがあります。彼らにはとても重要な役割があると思うのです。それは、人と野生の橋渡し役という大役です。

人間以外にもこの地球には生きていて、私たち人間が意識しているのとは全く異なる時間軸の中でその生命を燃やしている存在が、彼らです。人間は人間だけでは生きていけません。この地球に住まう仲間が彼らで、生命の多様性の証人です。図鑑や、インターネットの中だけにいるのではなく地繋がりのどこかに、海を越えたどこかに、彼らは確実に生きているのです。

 

檻の中にいようとも彼らは命を燃やしていて、日々生き残ることに懸命であることには変わりないはずです。檻の外側から彼らの目を見つめるとひしひしと感じられる息遣い。その姿は気高く、愛らしく、崇高です。そんな彼らを哀れむのは人の驕りに他なりません。

 

彼らは檻の中からも問い掛けてきます。その力強く穏やかな問い掛けの答えに窮し、目を逸らしたくなりますが、しっかりと向き合って答えたいと思います。

 

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