おわりに。

一年の終わりを迎え、さて振り返り、今年のはじめに書いた日記を読み返した。

そこには、いかなる好きなことをしていても満たされないこと

そしてすでに手にしているのにも関わらず

足りない足りないと騒いでいるだけではないかと書いてあった。

つまりこれはもうずいぶんと昔からの課題であった。

 

こうしたことについてこんな言い回しがある。

「膝まで水に浸かっているのに喉が渇いたと言うようなもの…」

さらにビョークはall is full of love(すべては愛に満ちている)と唄い

同じようなことを言っている。

きっとそうなのだ。

僕が写真を使って伝えたいこと…

それは他者を鏡として最も自分が感じ入りたい愛についてである。

この大きすぎる命題の真理へ矮小なる自分がどこまで近づけるかは

ここからの僕の人生の課題であろう。

自分は光そのものでも光源でもないが

自らを鏡として世界の最も暗いところ

ひとの心の中の暗いところへと

光を反射して届けられる生き方をしていきたい。

 

 

 

JUGEMテーマ:写真日記

同一ではない

ノーマン・ロックウェル氏は古き良きアメリカを描いた。

 

警官と会話する家出少年に

自分の幼い頃を照らし合わせるような表情をしているダイナーの店員や

家族との外出に疲れ居眠りをする父親と

満足そうな表情で同じく眠りに落ちている妻と子

窓から暖かな光が入る役所のような場所で

これから夫婦となる二人が婚姻届を記入する。

 

どれも実体験として語られる絵ではなく

どうやら当の本人はそうした「家族の暖かさ」とは対照的な人生だったらしい。

もしかしたら氏にはそうしたものへの憧れがあったのかもしれない...

というのは僕の想像でしかない。

 

表現されるものは作者の投影だが

必ずしもそれは作者と作品が同一とは限らない。

むしろまったくの正反対であることもある。

「こうありたい、こういうのがよかった、けれどどうにもそうはならない...」

そうした理想への渇望が表現に繋がっていることもあり得る。

 

だから表現物と表現者を直結して

イメージしてしまうのは少々危ういかもしれない。

そこまで単純な構図ではなさそうだ。

 

ものはもの、人は人で別物なのだが

自分も含めてどうしても繋げて考えてしまう。

それはある種の期待となり、期待は自分の中だけで時間をかけるほどに大きく膨らむ。

膨らんだ期待は先入観となり

先入観は落胆や裏切りに繋がりかねない。

勝手に想像して勝手に落胆されては残念としか言いようがない。

表現物は他ならぬそれを見るひとのものであり

表現者自身ではない。

表現物について抱いてもらう興味や好意は

表現者とは繋がらない。

このことを僕は誤解をしていた。

 

表現物を評価されること

気に入られることと

僕自身がどういう人間なのか、そこに直接的な関連性はない。

 

言い換えればどんな風に見られるか気にせず

好きなようにつくってよいということになる。

臨床心理において投影法の解釈が困難なように

写真や文章を読んだだけですぐ自分がわかるわけもない。

また同じく、他人がわかるわけでもない。

だからどう見られるかわからない不安感など恐ることなどないのだろう。

 

--------

ノーマン・ロックウェル氏がどのような経験を持っていた方だったのかお会いできない以上なんともわからない。

手元にある資料ではどんな作品を残したかはわかってもどんな人物で、どんな人生を送ったかまではわからないから大いに間違えている可能性もある。もしそうだった場合、ロックウェル氏に向けて謝りたい。

誤解していました、ごめんなさい、と。

-------

 

 

 

 

JUGEMテーマ:写真日記

依代

真冬に南房総の港町にあるお気に入りのペンションへ泊まりに行った。

ペンションの近くには美しい建築の写真美術館があり

そこにはこじんまりとした物販スペースもあった。

そこで買った本は何かを探している者に

なんらかの気づきを与えるような

しかし何の意味もないような

そうした話が書いてあった。

今またその本を読み返している。

なんども読んだ本なのでどんな話があるかはだいたい覚えているが

それでも読むたびに、自分が大切にしたいことを思い出すような

なんらかの気づきを得る。

 

こうして人が口にしたり本で読んだ他愛もない言葉に

なんらかの意味を見出して、いつまでも残っていることがある。

これらはどこで迷い込んだのかわからぬ

ポケットの中やリュックサックの底で

山の枯葉を見つけたときのように、唐突に意識へと昇る。

それはしばらく胸に留まりいつしか存在が薄まる。

しかし消えはしない。

太陽が沈んでも西の空に残照が照るように

燃え尽きた灰の中で木が赤く光っているように

消えたようでしっかりと残っている。

 

万物は、自らを依代としてなんらかの啓示を携えて現れ

様々な意味合いを込めて自分に投げかけてくる。

どう捉えるかはあなたの自由だから好きなように捉えてくれたまえ、と。

その依代の後ろに何を見るかもまた自由だが

僕はそこに神の存在を意識する。

 

その神の存在はまた自分が創り出すものであるから

神は自分の内にあることを現している。

神は常に自分と共にある。

だから自分を救えるのもまた自分しかいない。

そうした、歴然とした孤独に対して恐れをなし

向き合うことを避けようとするも

自分から逃げられる願いは死以外では到底叶わない。

 

この孤独を克服するでもなく

覆い隠すでもなく

共存をして生きたい。

それが願いである。

 

 

 

 

 

JUGEMテーマ:写真日記