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望む場所への旅







星野道夫さんの本をまた読むようになった。星野さんの友人であるボブ・サムは、供にオーロラを見上げながら三歳にもならない一人娘の話をした後「どんな時代になるのかな…」と呟いた。その言葉の中には新しい世紀を迎えようとしている今、人間はどんな時代を迎えるのかという憂いが含まれていたという。


人間たちはどんな時代を迎えようとしているのか。これから先、自分はどうしたいのか。


海を眺める。あの太平洋には遠く北アメリカ大陸まで流れ、そしてまた日本へと還ってくる北太平洋還流がある。どうやら本当にあらゆる生命は無窮の彼方へと旅を続けているようだ。

繋がりと調和

 

 

 

 

 

森を眺め、草はらを眺め、水や風、生き物たちの気配を感じる時、深い部分で繋がりがあることに気づきます。その気づきも愛と言えるようにはなりました。

沼沢地



第一歩からして、われわれは四方八方から、うっそうたる草に取り囲まれた。草は丈が高くて、よく茂っており、中に入った人間が溺れたように見えた。足の下も草、前方も後方も草、両側も草で、ただ上方だけが青空だった。われわれは草の海の底を歩いていくような感じがした。このような印象は、なにやら小さな丘みたいなものにのぼって、草原がいちめんに波打っているさまを見た時、ますます強まった。私はおずおずと用心しいしい、再び草の中へ沈み、前進を続けた。

(ウラジミール・アルセーニエフ著 デルスー・ウザーラ 上巻 "レフー河の下流"より)


上巻の章で特に好きなのが沼沢地と、そこに棲む鳥たちについての描写です。描かれている沼沢地は極東ロシアの沿海地方、札幌とほぼ同緯度のハンカ湖へ流入して繋がる場所。著者であり軍人・探検家でもあるアルセーニエフが体験したことが精緻かつわかりやすい言葉で語られているので、自分のなかにある似たような景色をベースにして想像を膨らませています。

変化

 

 

森と草はらの境目に傾いた大樹がある。この樹は昨年の台風で根っこごと引き抜かれたが、幸い隣の木にもたれかかるようにして倒れるのを免れている。枝葉も繁っており、決して枯れて倒れるようなそぶりは見えない。

 

この浮いた木の根本には縦横無尽に至る根が生えている。この根にはまだ土がついており、そこにツタ植物や種々の草がまばらに生えている。草の根はもはや解きようもないほどに土の中で互いに絡み合っており、そこにまた土が被されば、木を支える大地となることが見てとれた。

 

先日また様子を見に行った。夏を越した木の根本には、少しばかりの間に膝丈以上にまで草が茂り、とうとう露出していた地面を隠すほどになっていた。私は嬉しかった。この環境の中で木は生きている。それも、ただ一つの木としてではなく、その足元にたくさんの生命を抱えながら生きている。年月を重ねた先でもこの木はこうしているかも知れない。そう思うと嬉しかった。

 

 

JUGEMテーマ:写真日記

 

単数であり複数







森のなかへ入っていくと種々の音とにおいと音、気配を感じる。夜露に濡れたであろう土や草木のにおい、風が梢枝を揺らし、鳥たちの賑やかしいおしゃべり、姿は見えないけれどもあちこちに生物の気配を感じ、自分のなかから安心感が湧いてくるのを意識して、僕はこれを求めていたと気づく。


晴れの日ばかりが美しいわけではない。曇天は曇天で、物の色と形を露わにする。一点だけではなく、観る対象のその周囲によって一点が成り立っていることに気がつく。たったひとつでは成り立たないそのバランスの危うさと強さが生み出す力を想い、人間もまたそのなかのひとつでありたいと思う。