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懐くことについて

先日、ユカワアツコさんの展示を

観に行ったことをきっかけに

オオバンに会いたくなった。

割と年中、沼地や街中を

流れる川へ行けば会えるのだが

会いたいと思って会いに行くのと

ただそこにいる姿を観るのとでは

やはり、感じ入るものが違う。

 

僕はまず、オオバンのことを考え、思い出す。

その白い嘴と真っ黒な体

そして赤く縁取られた眼を。

沼地を思い出し

すいすいと泳ぐ姿や

ヨシの茂みに隠れて憩う姿など

そこにいる姿を思い描く。

こうして実際会いに行くまでに

今頃どうしているかなぁと想像を膨らませる。

沼へ向かう道すがらも

道中さまざまな景色を歩き、目にしながら

今頃寝ているだろうか

それとももう起きているだろうかと

生きている姿を心の中で描く。

このようにして僕は

オオバンに想いを寄せて

会いに向かうのだから

やはり実際に会えた時の喜びは大きくなる。

人と会うときと同じなのだ。

 

こうしたことと似たものが

星の王子さまのなかで描かれていることを思い出した。

少しばかり、抜粋をさせてもらおう。

 

"

「ぼくの暮らしは単調だ。

ぼくがニワトリを追いかけ

そのぼくを人間が追いかける。

ニワトリはどれもみんな同じようだし

人間もみな同じようだ。

だからぼくは、ちょっとうんざりしている。

でも、もしきみがぼくをなつかせてくれたら

ぼくの暮らしは急に陽が差したようになる。

ぼくは、他の誰ともちがうきみの足音が

わかるようになる。

ほかの足音なら、ぼくは地面にもぐってかくれる。

でもきみの足音は、音楽みたいに

ぼくを巣の外へといざなうんだ。

それにほら!向こうに麦畑が見えるだろう?

ぼくはパンを食べない。

だから小麦にはなんの用もない。

麦畑を見ても、心に浮かぶものもない。

それはさびしいことだ!

でもきみは、金色の髪をしている。

そのきみがぼくをなつかせてくれたら

すてきだろうなぁ!

金色に輝く小麦を見ただけで

ぼくはきみを思い出すようになる。

麦畑をわたっていく風の音まで、好きになる・・・。」

「きみが夕方の四時に来るなら

ぼくは三時からうれしくなってくる。

そこから時間が進めば進むほど

どんどん嬉しくなってくる。

そうしてとうとう四時になると

もう、そわそわしたり、どきどきしたり。

こうして、幸福の味を知るんだよ!

でも、きみが来るのが行き当たりばったりだと

何時に心の準備をすればいいのか

ちっともわからない・・・

ならわしって、大事なんだ。」

"

 

ならわしは習慣と言い換えられる。

偶然の出逢いはいつしか習慣となり

その習慣は、ちょっとのことで変わってしまう。

一輪のバラと百万のバラの違いを知ることは

ときに辛いものになるから避けたいほどだが

一輪のバラと百万のバラの違いを知ることは

キツネが言うように

幸福の味へと繋がることなのだろう。

 

百万のオオバンと、一羽のオオバンの違い。

百万の人々と、一人の人間の違い。

幸福の味をいちど知ってしまうと

なかなかにそれは、忘れがたい。

 

 

 

 

JUGEMテーマ:写真日記

 

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